1970年代の日本の情勢を解説!主な出来事もご紹介!

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2023/03/24

1970年代の日本は高度経済成長を迎え、技術的な進歩を遂げた一方で、深刻な公害問題に悩まされていました。人々の生活が豊かになったものの、環境問題や貧富の格差が浮き彫りになった年代だといえるでしょう。このコラムでは、1970年代の日本の情勢や暮らし、ファッションについて解説します。当時の主な出来事もまとめているので、近代日本への理解を深めるために活用してください。

目次

  1. 高度経済成長期にあった1970年代の日本の情勢
  2. 多様なファッションが生まれた1970年代の日本
  3. 1970年代の日本の主な出来事
  4. 1970年代に日本と海外諸国の間で起きた出来事
  5. まとめ

高度経済成長期にあった1970年代の日本の情勢

高度経済成長期にあった1970年代の日本の情勢の画像

1970年代の日本は工業が発展し、現代でも生活必需品として普及している家電製品の開発が盛んでした。また、第二次ベビーブームを経て日本の総人口が1億1000万人を突破したのも1970年代です。しかし、高度経済成長に伴い女性の社会進出が進んだこともあり、1970年代後半からは出生率が減少の一途をたどっています。ここでは1970年代がどんな時代だったのかを知るために、当時の暮らしについてまとめました。

経済成長に伴って生まれた「3C」

日本の経済が好景気になり、生活水準が高くなるにつれて生活に取り入れたい「3C」が生まれました。この「3C」とはカラーテレビ・クーラー・カー(自動車)の頭文字をとった言葉で、当時は多くの日本人がこの3つの商品に憧れ、購入したいと考えていたようです。多くの家庭にテレビが普及したことで、バラエティー番組やアニメの人気が高まったほか、テレビが情報を得るための主要な手段となっていきました。また、自動車も一般家庭に普及し、マイカーを持つ人が増えていきます。

1970年代の日本は、好景気を迎えたことで雑誌や映画などの娯楽が増え、3Cのほかにも全自動洗濯機やワードプロセッサなど生活を豊かにする商品が登場しました。

公害問題の深刻化

高度経済成長が日本にもたらしたのは好景気だけではありません。成長の弊害として公害問題が深刻化してきました。公害問題自体は1970年代以前から存在していましたが、四大公害(水俣病・新潟水俣病・イタイイタイ病・四日市ぜんそく)と呼ばれる産業公害が日本各地で発生したたことで、迅速な対応が求められるようになります。事態の深刻さを受けて1970年に「公害国会」が招集され、騒音規制や廃棄物処理に関する法律の整備や、水質汚濁・大気汚染を防止するために対策の考案が行われたのです。

1970年代の公害問題はかつての公害問題と異なり、「大量消費・大量廃棄」のライフスタイルが定着したことから、市民が加害者であり被害者でもある構造へと変わりました。都市生活型の公害が拡大したことをきっかけに、人々はそれまでの生活を見直し、省エネルギーやリサイクルを意識するようになります。

多様なファッションが生まれた1970年代の日本

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1970年代の日本は、現在も人気があるファッション誌が数多く刊行され、若者向けの商業施設としてPARCOやラフォーレ原宿がオープンしたことでファッション業界が大きく盛り上がりました。

1950年代

日本のファッションが華やかなものになったのは、終戦からほどなくして洋装文化が馴染み始めた1950年代からです。終戦後の日本では、パニエやペチコートを使ってドーム型に膨らませたAラインの落下傘スカートやドット柄などのアメリカンスタイル、映画の俳優のスタイルを取り入れたファッションが主流でした。

1960年代

続く1960年代は東京オリンピックが開催され、未来への期待から新しいファッションが生み出された時代です。特に世界的に流行したミニスカートは、日本でも人気が出たため、若者のファッションに多く取り入れられました。全体的にカラフルでポップなデザインが流行したほか、パンツスタイルが特徴の「パンタロン」、学生風のプレッピースタイルをベースにした「バン・ジュン」が若者の人気を集めます。1960年代のファッションは、流行を発信するマスメディアの発達と、若者の新しい価値観によって生み出されたといえるでしょう。

1970年代

このようなファッションの移り変わりを経て、1970年代は今までと異なる流行が巻き起こります。たとえば、1960年代にミニスカートが大ブームを起こした反動で、1970年代はくるぶしまで丈があるマキシスカートを取り入れた「フォークロア(ボヘミアン)」が流行しました。

1973年にはオイルショックの影響を受けて倹約主義が強まったことで、大量生産・大量消費を避ける「チープ・シック」が誕生します。ほかにも、1975年まで続いたベトナム戦争への反戦ムードから、サイケデリックでボヘミアンな特徴を持つヒッピーが流行、上流階級や高級嗜好への反骨精神を現したパンクロックも人気を獲得します。

女性がジーンズを履いたり男性が髪を伸ばしたりといった、ユニセックスファッションが広まったのも1970年代で、これまでに比べて創造的で新しい価値観を感じさせる流行が増えました。

日本のファッションに興味がある方には、「日本のファッションの特徴は?人気のジャンルや有名ブランドを紹介」のコラムもおすすめです。日本のファッションの歴史や特徴などを解説しているので、参考にしてください。

1970年代の日本の主な出来事

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1970年代の日本は戦後の急速な経済成長によって新しい文化が誕生しました。1970年代の日本の主な出来事をまとめたので、当時の情勢を掴むための参考にしてください。

大阪万博の開催

1970年の日本では、「人類の進歩と調和」をテーマに掲げた「日本万国博覧会 EXPO'70」が開催されました。77カ国と4つの国際機関が参加する大規模な博覧会で、当時の日本の工業技術の発展や未来に対する期待が感じられます。

開催地が大阪だったため通称「大阪万博」と呼ばれており、当時テーマ館の一部として建てられた「太陽の塔」は、現在も万博記念公園に残されている歴史的な作品です。

戦後2度目のベビーブーム

1971年~1974年の間に戦後2度目のベビーブームが起こり、「団塊ジュニア」と呼ばれる世代が誕生しました。名前の通り、戦後最初のベビーブーム(1947~1949年)で生まれた団塊世代を親に持つ世代です。

「セブン‐イレブン」の1号店オープン

日本をはじめ海外にも出店している有名なコンビニエンスストア、「セブン‐イレブン」が誕生したのも1970年代です。現在は24時間開いており、食料から生活雑貨まで購入できますが、当時のセブン‐イレブンは朝7時から夜11時までの営業でした。

「ハローキティ」の誕生

国内外で人気のある「ハローキティ」は1974年に誕生しました。赤いリボンが特徴的な猫を擬人化したキャラクターは、現在も老若男女問わず幅広い世代に愛されています。グッズやアニメが展開され、多くの企業ともタイアップしていることから日本を代表するキャラクターといえるでしょう。

1970年代に日本と海外諸国の間で起きた出来事

1970年代に日本と海外諸国の間で起きた出来事の画像

1970年代は、日本と海外諸国の間でさまざまな動きがみられた時代です。ここでは歴史に残るような主な出来事をまとめています。

第一次・第二次オイルショック

1973年に原油価格が高騰したことで第一次オイルショックが起こり、エネルギー源を石油に頼っていた日本は、経済的に大打撃を受けることになります。ガソリンや紙製品が不足したことで買いだめ客が増加し、原油価格の高騰とは直接関係のないトイレットペーパーや洗剤まで品薄になるなど、各地でパニックが起きました。ほどなくして卸売り・消費者物価が急上昇し、工業の発展による高度経済成長は幕を閉じます。

第二次オイルショックが起きたのは、1979年に発生したイラン革命がきっかけです。イランでの石油生産の中断とOPEC(石油輸出国機構)の段階的値上げによって、世界各国が影響を受けましたが、日本は第一次オイルショックのような大打撃を受けることはありませんでした。前回の教訓を生かして、金融の引き締めや省エネルギーの導入を行ったため、被害を最小限に押さえることに成功しました。

沖縄返還

1972年に沖縄県がアメリカの施政権下から日本へと返還されました。返還後は、日本の本土並みの経済回復や生活水準の向上を目的として、公共投資などが行われています。しかし、返還後の沖縄県民と日本の自衛隊は折り合いが悪く、隊員に対する迫害や住民票の未交付といった人権侵害が問題視されました。

2023年現在、沖縄が日本に返還されてから50年ほど経つものの、アメリカ軍の駐屯地に関する問題や産業発達の遅れなど解決すべき課題は山積しています。

ロッキード事件

ロッキード事件とは1976年に発覚した世界的な汚職事件で、真相が解明されていないことで有名です。

日本の大手国内航空である全日空の新しい旅客機導入に絡んだ事件で、日本をはじめとしてアメリカやオランダ、ヨルダンなど数多くの国を巻き込みました。アメリカの航空機製造会社の「ロッキード社」は、自社の航空機を使ってもらおうと世界各国の政治家をお金で買収しており、その中に大型航空機の受注先を探していた日本も含まれていたのです。

事件当時に首相だった田中角栄はすでに辞任していましたが、賄賂の受け取りと海外との不正な取引の疑いで逮捕され、周囲の関係者の多くが不審死したことからロッキード事件は「総理の犯罪」とも呼ばれます。事件が発覚したきっかけがアメリカのチャーチ委員会の公聴会だったため、外交問題にも発展しました。

当時の日本政府は、元首相が犯罪を起こしたことで大混乱に陥ってしまいます。国民は事件の隠ぺい工作や政治家・警察の対応に不信感を抱き、テロや暴動を起こすようになりました。この事件は戦後最大の疑獄(ぎごく)といわれ、現在でも世界的な大事件といわれています。

中国政府からのパンダ寄贈

1972年には日本と中国の国交正常化を記念して、中国政府からパンダが2頭寄贈されました。北京動物園で飼育されていた中で、最も容姿や性格が優れた2頭が選ばれたといわれており、実際にその愛らしさから日本ではパンダブームが巻き起こります。公開初日はおよそ6万人が見物に訪れ、わずか30秒の観覧のために長い列ができたようです。パンダは亡くなるまでの10年近く人気を集め、現在は2頭とも剥製として多摩動物公園に展示されており、全国の動物園や博物館に貸し出されることもあります。

1970年代以降の日本の歴史にも興味がある方は、「1980年代の日本を外国人向けに解説!ファッションやアニメも紹介」も、ぜひチェックしてみてください。

まとめ

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1970年代の日本は高度経済成長を迎え、好景気によって人々の暮らしが豊かになった一方で、公害問題の深刻化やオイルショックに悩まされた時代でもありました。現在の日本の暮らしの基盤になった時代でもあるので、当時の情勢をもっと知りたい方はインターネットや本を使って調べてみてください。

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