侍や忍者は、江戸時代ごろまで実際に日本に存在していました。日本らしさ・日本文化を代表する存在として海外でも有名です。しかし、「侍と忍者は具体的に何が違うのか知らない…」という方もいるでしょう。
このコラムでは、侍と忍者の違いを紹介します。それぞれどのような特徴を持っているのかもまとめているので、侍や忍者に興味がある方はチェックしてみてください。
目次
侍と忍者の違いとは
侍は貴族に仕える人で、忍者は忍術を使い敵のかく乱や情報収集を行う存在です。侍という言葉は「見守る」が語源とされており、武術を習得していない人もいました。時代が進むにつれて侍の意味が変化し、日本刀を帯刀した軍人のような存在として浸透していったようです。一方、忍者はいつの時代も見えないところで活躍するスパイのような存在で、戦国時代は力を持つ武士(大名)に仕えていました。忍者は侍のように日本刀を使うことはほとんどなく、手裏剣や吹き矢、まきびしなどの道具を使っています。
ピックアップ記事
江戸時代まで活躍した侍
侍は平安時代後期から江戸時代まで活躍した存在です。袴と呼ばれる日本の伝統衣装を着ており、ちょんまげという独特な髪型をしていました。戦の際は通気性が悪く重い兜を被っていたため、かぶれないように頭頂部をそり、後頭部の髪の毛をまとめて結っていたようです。特に戦が多かった戦国時代は、数多くの侍が活躍していました。日本史にはたくさんの侍が出てくるので、歴史に興味がある方はぜひ勉強してみましょう。
侍と武士の違い
侍と同じ意味で使われる武士は、戦いで生計を立てている人全般を指す言葉です。浪人や野武士、足軽など仕える相手がいない人々は武士、貴族に仕えている人は侍というように区別されます。自分が開拓した土地が奪われないように、武士団と呼ばれる自警団に所属していた武装した人々が武士と呼ばれたのが始まりです。なお、現代では侍と武士が区別されることはほとんどありません。
侍や武士は「武士道」という独自の倫理観を重んじており、正義を貫く・嘘をつかないなどの決まり事を守っていました。だまし討ちはせず正々堂々戦うのが美徳とされていたため、武士道に反するものはどれだけ強くても武士と認められませんでした。
刀狩り以降帯刀を認められたのは武士のみ
豊臣秀吉が出した刀狩令により、安土桃山時代以降は武士以外が刀を持つことを禁止されました。刀狩によって「日本刀は武士の魂」といわれるようになり、武士は支配階級として力を強めていったようです。特に、江戸時代の武士は特権階級だったため、農民や商人と違って苗字を名乗ったり帯刀(腰に刀をつけること)が認められたりしていました。武士は一握りしかいない特別な身分だったので、現代でも憧れを持つ人が多いようです。
現代の日本に侍や武士はいない
明治時代に行われた「廃藩置県」という行政改革により、侍や武士は次第に姿を消していきました。「廃刀令」によって侍や武士の帯刀が禁じられたのも、理由の一つです。侍は役人と軍人の両方を兼ねる職業でしたが、それぞれ独立した職業が生まれたことにより、役割を失っていきました。明治時代の初期まではちょんまげ姿の侍も見られましたが、次第に特技を活かせる別の職業に就いていったようです。
侍が活躍していた時代を含め日本の歴史をより詳しく学びたい方は、「日本の時代を年表にして紹介!時代区分ごとに起こった出来事も解説」のコラムで取り上げているので、ぜひチェックしてみてください。
忍者は日本におけるスパイのような存在
忍者は、仕えている主人の敵に嘘の情報を流したりスパイ活動を行ったりする存在です。忍術という忍者特有の武術を習得しており、ときには敵と戦うこともありました。忍者が仕えているのは、侍や武士の中でも位が高い武将や貴族です。聖徳太子が新羅の内情を探らせたのが忍者の発祥とされています。
忍者の主な活動
忍者は世間に紛れつつ、敵の情報を手に入れたり盗みを行ったりするのが主な活動です。忍者と聞くと全身を真っ黒な衣装に包み、目だけを出している姿をイメージする人が多いですが、普段は町人や出家僧、商人の変装をしていたとされています。なお、忍者としての仕事がない場合は兵術や体術、忍術の勉強・訓練をしていたようです。
忍術は忍者しか使えない
情報収集や盗み、戦闘など忍者の活動に必要な技術をまとめて忍術といいます。忍者は忍具と呼ばれる独特な武器を使うことがあり、いざというときのために修行しているのです。忍者は主に手裏剣や鎌、かぎ爪などを使用していました。ちなみに忍者も忍刀(しのびがたな)という日本刀を所持していますが、侍のように戦いで使う機会は少なかったようです。忍刀は壁や屋根にのぼる際の踏み台として使っていたとされており、侍の刀と違って刀身が短く、夜でも目立たないようつや消し加工が施されています。また、敵の攻撃を避けるために体術も身につける必要があり、忍者になるには相当な訓練を行わなければなりません。
日本史における忍者の活躍
忍者にはさまざまな流派があり、それぞれ仕える主人のために諜報活動を行ってきました。特に、多くの侍や武士が天下統一を夢見た戦国時代は、裏でたくさんの忍者が活躍したとされています。たとえば、現在の広島県にあった毛利家は、「座頭衆(ざとうしゅう)」「世鬼一族(せきいちぞく)」といった忍者集団の活躍により、中国地方の一大勢力となりました。
当時の日本を統治していた幕府も「御庭番(おにわばん)」という忍者集団を有しており、どこの武将も必ず忍者を使って敵の情報収集を行っていたのです。ほかにも、「軒猿(のきざる)」「雑賀衆(さいかしゅう)」「伊賀衆」などたくさんの忍者集団があり、傭兵として活躍することもあったとされています。
現代の日本に忍者はいない
幕府が日本を統一した結果、国内での内乱がなくなり活躍の場がなくなった忍者は次第に減っていきました。現代では歴史上の存在、または架空の存在として語られています。実際の忍者は、アニメや漫画のように超人的な身体能力や強力な忍術を有していません。しかし、歴史の表舞台には出てこないミステリアスな存在として、魅力を感じる人は多いようです。
侍や忍者が海外で人気な理由
日本特有の存在である侍や忍者は、海外でも「Samurai」「Ninjya」で通じるほど人気です。侍や忍者をモチーフにしたハリウッド映画や漫画もあります。実際の侍や忍者とは違い、アメコミのヒーローのように描かれていることが多いものの、姿は実物と同じため憧れを持つ人もいるようです。
侍や忍者は日本にしか存在しません。自国にはない神秘的な存在として魅力を感じる外国人が多く、海外でも高い人気を博しているといえます。
現代日本でも侍や忍者の気分は味わえる
戦ったり敵の情報収集を行ったりする必要がない現代の日本に侍や忍者は存在しませんが、服装や雰囲気を体験する場はあります。「実際に手裏剣を投げてみたい!」「侍が身につけていた甲冑を着てみたい!」という方は、日本を訪れた際に忍者・侍体験ができる施設に足を運んでみましょう。京都府や東京都、山梨県などさまざまな場所に、侍や忍者の気分を味わえるアミューズメント施設があります。
まとめ
侍と忍者はどちらも日本特有の存在ですが、それぞれ活躍の場が異なります。違いが分かるようになれば、より日本の歴史や文化を楽しめるでしょう。