日本のビールの歴史とは?外国人向けに徹底解説!

WeXpats
2023/02/06

世界で人気のお酒であるビールは、日本人にも広く親しまれています。しかし、ビールは大昔から流行していたというわけではなく、現在のように手軽に飲めるお酒として日本で人気が出るまでには、長い歴史がありました。このコラムでは、日本におけるビールの始まりの歴史から、どのような過程をたどって現在に至るのかを解説します。

目次

  1. 日本におけるビールの歴史は江戸時代から
  2. ビール醸造所が日本で初めてできたのは明治時代
  3. 大正初期からはビールの輸出も行われるように
  4. 日本の大手ビール会社の歴史
  5. まとめ

日本におけるビールの歴史は江戸時代から

日本におけるビールの歴史は江戸時代からの画像

日本におけるビールの歴史は、1613年の江戸時代が始まりです。当時の日本は鎖国を行っており、長崎の出島は唯一外国の船が行き来できる場所でした。出島に入港したイギリスの船(クローブ号)の積み荷から日本にビールが入ってきたのが、最古の記録だといわれています。そこからビールが日本に広まっていくまでには、長い時間がかかりました。

ビール醸造所が日本で初めてできたのは明治時代

ビール醸造所が日本で初めてできたのは明治時代の画像

日本初のビール醸造所である「ジャパン・ブルワリー」は、横浜の外国人居留地として1869年の明治時代に開業されました。当時ビール醸造所のほとんどは外国人によって作られていましたが、1872年には渋谷庄三郎によるビール会社「渋谷(しぶたに)ビール」が設立されることになります。日本で初めてビール醸造所ができてから、その後も横浜をはじめ、さまざまな場所でビール醸造所が設立されていきました。また、渋谷ビールの設立と同時期に、日本で初めてのビアガーデンも登場しています。

大正初期からはビールの輸出も行われるように

大正初期からはビールの輸出も行われるようにの画像

世界が第一次世界大戦の影響を受けている中、日本は大正初期からビールの輸出を始めるようになります。主な輸出先は、第一次世界大戦のあおりを受けてヨーロッパからビールの輸入ができなくなったインドや東南アジアなどでした。輸出をするようになったことで、日本のビールの生産量は大きく増加し、ビール会社も新たに設立されるようになったのです。1919年には「ビール党」という造語も登場し、この頃の日本においてビールがどれだけ人気だったかがうかがえます。

大正末期から戦後まで日本のビールは低迷期に入る

大正末期から昭和初期の日本が不況に入ってしまったことで、ビールの売り上げは一時低迷しました。売り上げを回復させるため1933年に麦酒共同販売会社が作られ、乱売の時代は終わりを迎えます。しかし、その後日本でも戦争が始まり、食品と同様にビールも値段が統制され、配給制となりました。また、1941年に太平洋戦争が起こると、ビールを製造するのに必要な大麦やホップが入手しづらくなってしまい、生産量が激減します。

戦後の日本は徐々にビールの売り上げを回復

太平洋戦争が終わり、1949年にビアホールの営業とビールの自由販売が許可されたことで、日本のビールは売り上げを回復しました。日本各地でビアガーデンやビアホールも広がっていき、女性にもビールの人気が広まっていきます。1955年には高度経済成長期の影響を受け、ビール業界も好景気となりました。また、これまでビールは「夏に飲むもの」というイメージがありましたが、この頃から「飲みたいときに年間通じて飲めるもの」として広まっていきます。日本の家庭で冷蔵庫が普及していったこともあり、ビールを家で飲む習慣も増え、より手に取りやすく親しみやすいお酒として人気を博していきました。

日本の大手ビール会社の歴史

日本の大手ビール会社の歴史の画像

日本でビールを製造している会社は約170社ほどありますが、その中でも特に大手といわれている会社があります。アサヒグループホールディングス、キリンホールディングス、サッポロホールディングス、サントリーホールディングスの4社です。ここでは、これらの大手会社がビールを発売するまでの歴史や、発売されたビールがどのような発展をしたのかについて解説します。

アサヒグループホールディングス

1889年にアサヒグループホールディングスの前身である大阪麦酒会社が設立され、1892年にアサヒビールが発売されました。翌年の1893年には、発売からわずか1年でアサヒビールがコロンブス世界博で最優等賞を受賞しています。最近の記録では、ブリュッセルビアチャレンジ2017においてアサヒスーパードライ瞬冷辛口という種類のビールが金賞を受賞しており、これは2015年から3年連続の記録でした。

アサヒグループホールディングス株式会社

アサヒグループホールディングス

キリンホールディングス

キリンホールディングスの前身は前述したジャパン・ブルワリーで、1888年にキリンビールを発売しています。戦後には、キリンビールはビールのトップブランドとして成長しました。高度経済成長期にはキリン・シーグラム株式会社を設立し洋酒事業にも進出、その頃キリンビールの製造は12工場体制となっており、シェア60%を達成しました。

キリンホールディングス株式会社

キリンホールディングス | Kirin Holdings

サッポロホールディングス

1875年、サッポロホールディングスの前身である開拓使麦酒醸造所が札幌に設立され、翌年1876年に札幌ビールが発売されました。当時の札幌ビールは、ほどよい苦味と芳醇な香りがビールを好む日本人にとても評判でした。その後、札幌麦酒会社や恵比寿ビヤホールの設立などを経て、2003年に現在のサッポロビールホールディングス株式会社となっています。

サッポロホールディングス株式会社

サッポロホールディングス

サントリーホールディングス

1899年、鳥井信治郎がぶどう酒の製造販売をするため大阪市に鳥井商店を創業したのがサントリーの始まりです。鳥井商店を母体に、1921年に株式会社寿屋を設立しました。1930年には「オラガビール」を発売しビール業界に低価格競争を仕掛けましたが、当時の大手会社には敵わず1934年に一度ビール事業から撤退した過去を持ちます。しかし、1963年に武蔵野ビール工場でサントリービールを製造し、ビール業界へ再進出しました。同年3月、商品名のサントリーを社名に使い、サントリー株式会社と商号を変更しました。

サントリーホールディングス株式会社

サントリー ホームページ

まとめ

まとめの画像

ビールは日本で初めて存在が認知されて以来、長い時間をかけて国民に愛される飲み物となりました。時代の流れに翻弄されながらも進化を続けてきた日本のビールを、自分の国のものと飲み比べてみると、違った味の発見ができるかもしれません。お酒が好きな外国人の方にとって、日本のビールも新たな楽しみに繋がるでしょう。

日本の飲み会文化とは?職場の人とお酒を飲む際のマナーを押さえよう」では、日本の飲み会文化について紹介しています。ぜひ、チェックしてみてください。

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