現在の日本の苗字数は約10~30万種類といわれており、「佐藤」「鈴木」「高橋」「田中」「伊藤」は、特に人口が多い姓です。なかには、「小鳥遊(たかなし)」「四月一日(わたぬき)」といった特殊な読み方をするものもあります。
この記事では珍しい苗字の種類や、人口が多い姓の由来を紹介。苗字が誕生し、広まった歴史についても解説しています。
目次
日本に多い苗字
日本の戸籍を持っている人には苗字(名字)と名前があり、個人を表す記号として幅広い場面で使われています。
以下は、2024年4月時点の政府発表統計および全国電話帳データを元に作成された、人口が多い順の苗字ランキングです。
-
1位:佐・藤・約183万人
-
2位:鈴木・約176万9000人
-
3位:高橋・約138万3000人
-
4位:田中・約131万2000人
-
5位:伊藤・約105万3000人
-
6位:渡辺・約104万3000人
-
7位:山本・約102万9000人
-
8位:中村・約102万6000人
-
9位:小林・約101万人
-
10位:加藤・約87万3000人
-
11位:吉田・約81万3000人
-
12位:山田・約79万9000人
-
13位:佐々木・約65万6000人
-
14位:山口・約63万1000人
-
15位:松本・約61万6000人
-
16位:井上・約60万3000人
-
17位:木村・約56万5000人
-
18位:林・約53万6000人
-
19位:斎藤・約53万2000人
-
20位:清水・約52万3000人
ここでは、上記のランキングに基づいて、1位から5位までの「佐藤」「鈴木」「高橋」「田中」「伊藤」という名字の由来や各都道府県の割合について詳しく解説します。
佐藤
「佐藤」の由来として有力なのは、平安時代、栃木県佐野市で活躍した藤原秀郷(ふじわらのひでさと)の子孫が名乗り始めたという説です。末裔だと示すため、「佐野の藤原」という意味で使いました。
「佐藤」の比率が多いのは、秋田県、山形県、宮城県、福島県、岩手県などです。日本政府が発令した1875年の「苗字必須義務令」により、庶民も苗字を名乗ることになりました。その際、政府が示した例のなかに「佐藤」があったのが、佐藤姓が多い理由といわれています。
鈴木
「鈴木」の由来は、和歌山県熊野地域で行われていた、刈り取った稲穂を神にささげる儀式と関係しています。積み上げた稲穂の真ん中に神木を立て、その木を「ススキ」と呼んでいました。この言葉はやがて神官を表すのにも使われるようになり、読み方も「スズキ」に変化して一族の呼称になったといわれています。神が木に宿ったら鈴の音が鳴ることから、漢字は「鈴木」が使われました。
「鈴木」の比率が多いのは、静岡県、福島県、山形県、宮城県、愛知県などです。熊野信仰を広めるために、鈴木家が神官として全国の熊野神社に分散したことで、苗字が日本中に広まったといわれています。
高橋
「高橋」という姓は、全国各地の地名「たかはし」が由来です。「高台の端」や「高い橋」などを意味し、この地名に住み着いた人が苗字として名乗り始めたといわれています。高い橋という言葉から、天と地を結ぶ橋として、神主にもこの苗字が好まれました。
「高橋」の比率が多いのは、岩手県、秋田県、宮城県、山形県、新潟県などです。
田中
「田中」という苗字は「中央にある田地」に命名された地名が由来だといわれています。
「田中」の比率が多い都道府県は、鳥取県、佐賀県、福岡県、滋賀県、京都府などです。日本の稲作は九州地方から広がっていったので、西日本に「田」という地名や田中姓が増えました。
ほかにも、漢字の「田」がつく苗字は多く、「岡田」「山田」「池田」「太田」「藤田」などがあります。
伊藤
「伊藤」という苗字は、藤原秀郷の子孫が「伊藤」と名乗ったのが始まりです。現在の三重県である伊勢国(いせのくに)に住み着き、「伊勢国の藤原」という意味で称しました。
このように、「▲藤」という苗字は平安時代の藤原氏と関係があるものが多く、さまざまな役職や土地と合わせたものが複数あります。
「伊藤」の比率が多い都道府県は、秋田県、三重県、山形県、愛知県、宮城県などです。
参照元
名字由来net「全国名字ランキング」
ピックアップ記事
日本の珍しい苗字20選
日本の苗字のなかには、特殊な読み方をするものや世帯数が少なく希少なものまで、さまざまな種類があります。以下はその一例です。
-
小鳥遊(たかなし)
-
御手洗(みたらい・みたらし)
-
月見里(やまなし)
-
百目鬼(どうめき)
-
四月一日(わたぬき)
-
英(はなぶさ)
-
毛受(めんじょう・めんじゅ)
-
塩(しお・えん)
-
白髪(しらが・しらかみ)
-
文字(もんじ・もじ)
-
和歌(わか)
-
鴇(とき)
-
水溜(みずたまり・みずため)
-
百足(むかで・ももたり)
-
八月一日(ほずみ・はっさく・やぶみ)
-
法華津(ほけつ・ほかつ・ほけづ)
-
燕(つばめ)
-
御薬袋(みない・みなえ)
-
可愛(かわい)
-
賣井坂(うるいざか・うりいざか)
一説には、小鳥遊は「鷹のような強い鳥がいなければ、小鳥が遊べる」ことから名づけられたといわれています。四月一日は「防寒着に詰めた綿を旧暦の4月1日に抜く」ことが読み方の由来です。なお、「小鳥遊」は和歌山県、「四月一日」は宮崎県に集中しています。
「日本人に人気の名前とその意味(2021〜2022年人気ランキング)」では、日本人に人気の名前を紹介しているので、興味のある方はぜひご覧ください。
日本の苗字の誕生と広まり
現在では当たり前のように使われている苗字ですが、使用が義務付けられるようになってから2世紀も経っていません。ここでは日本の苗字の誕生や、以前使われていた制度について解説します。
苗字の誕生は平安時代
苗字は平安時代の終わりごろに誕生します。
平安時代の政府である朝廷では、藤原姓の勢力が広がっていました。「藤原氏」が多く、お互いの区別がつきにくいため、自分の家を表す「家号」(かごう)を名乗るように。それが次第に「苗字」となっていったのです。
武士たちも自分の所領を守り、明確にするため、自分の領地の地名を苗字として名乗るようになりました。貴族のように、同じ姓が多かったことも理由の一つです。
苗字が生まれる前は氏姓制度が存在した
日本に苗字が生まれる前は、身分や所属を明確にさせるために氏姓制度が行われていました。昨今では氏・姓どちらも苗字という意味で使われていますが、この制度では異なります。
「氏」は氏族という血縁関係にある集団を表し、それぞれに王権における役割が決められているのが特徴です。なお、氏は天皇から与えられることもあります。
「姓」は天皇から授かる称号のことです。戸籍制度の運営にあたって、ほとんどの階級に氏姓が与えられたため、身分制度の整理を行うために姓が生まれました。
氏や姓はバリエーションが少なく、次第に身分制度としての機能を失っていったため、現在では身分を表すために苗字が使われています。
現在の日本の苗字は約10~30万種類
氏姓制度が使われなくなったあと、日本全国に広まった苗字の数は10~30万種類にも上るといわれています。
苗字を名乗る文化は公家や武家から始まり、次第に農民や商人といった庶民にも浸透しました。当時は誰でも自由に苗字を名乗れたため、現在の日本には残っていない言葉があった可能性も。また、同じ漢字で読み方が異なったり、字体が違ったりする苗字の数え方によっても異なるため、正確な数を出すのは難しいでしょう。
苗字を名乗る許可と義務についての歴史
現代のように日本で苗字を名乗ることが義務付けられたのは、明治時代になってからです。平安時代に公家や武家を中心に広まった苗字は、戦国時代以降は支配階級や特権階級の人を除いて公に名乗ることを禁止されるようになりました。庶民でも非公式に苗字を持つ人はいましたが、法的に認められたのは幕末に明治維新がおこり、近代化政策が進められてからになります。
平民苗字許可令
1870年9月に明治新政府が公布した「平民苗字許可令」によって、貴族や武家の出身ではない人も公に苗字を名乗ることが認められます。しかし、庶民は「苗字を持つことで課税されるかもしれない」と考え、届出を行う人は多くいませんでした。
苗字必称義務令
1875年2月に「苗字必称義務令」が出たことで、すべての人に苗字の使用が義務付けられました。平民苗字許可令の公布後、戸籍法の制定や氏姓の廃止、複名・改名の禁止などを行っても普及しなかったため、苗字必称義務令が出されたのです。明治時代に法令が整えられたことですべての国民が公的な苗字を持つことになり、現在も身分を表す記号として広く使われています。
「日本人の名前の歴史を解説!名字が誕生した背景や制定された法令を紹介」でも、苗字を広めるための法令について解説しているので、興味がある方はぜひご覧ください。
まとめ
日本で苗字を名乗るようになったのは、平安時代の終わりごろです。また、明治時代からは全国民が使用を義務付けられました。現在、日本の苗字は約10~30万種類あると考えられています。