「日本の代表的な怪談には何がある?」「怪談話はいつ広まったの?」と思う外国人もいるでしょう。日本の代表的な怪談には、日本三大怪談とよばれる「四谷怪談」「皿屋敷」「牡丹灯籠」や、稲生物怪録などがあります。このコラムでは、有名な日本の怪談や流行したきっかけを詳しく解説。また、城跡にまつわる怪談も紹介します。昔から伝承されている日本の怪談話を知り、日本の歴史や文化を理解しましょう。
目次
日本で怪談が流行したきっかけは「百物語」
日本では、江戸時代に「百物語」をきっかけに怪談が流行しました。百物語とは、100本のろうそくに灯をともし、怪談を一つ話すごとに灯を消して、100本目の灯が消えたときに怪異が起こるとされている怪談会のことです。怪談話だけでなく、因縁話や不思議話も話されていました。室町時代に武士が肝試しとして行い、江戸時代には怪談を話す一つの遊びとして流行したようです。百物語が流行してからは「諸国百物語」や「御伽百物語」など、百物語の名前が付いた本が出版されました。
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日本三大怪談と有名な怪談話
日本には、日本三大怪談とよばれるものや有名な怪談話が多くあります。日本三大怪談とは、「四谷怪談」「皿屋敷」「牡丹灯籠」のことです。ここでは、日本三大怪談やほかの怪談話を紹介します。
四谷怪談
四谷怪談は、お岩という女性が結婚相手の伊右衛門に裏切られて殺され、霊になって復讐をする話です。
病気を患っていることが原因で結婚相手が見つからないお岩を、父である又左衛門は心配していました。そして、伊右衛門という男性が半ば騙される形でお岩と結婚することになります。しかし、上司の妾であるお花と恋に落ちた伊右衛門は、お岩に毒を盛って殺し、お花と結婚しました。伊右衛門とお花は幸せな暮らしを送りますが、後にお岩の霊が現れ始め、伊右衛門には不幸が続きます。
四谷怪談は、1727年に書かれた小説「四谷雑談集」を参考にした可能性があるようです。
皿屋敷
皿屋敷は、お菊という女性が主人の大切な皿を割ってしまいひどく怒られ、責任を感じて屋敷内の井戸に身を投げてしまう悲しい話です。お菊が亡くなった後、屋敷内では皿を数える女性の声が聞こえるようになりました。
皿屋敷の起源は明確ではなく、結末が異なる物語も多くあります。皿屋敷のなかでも有名なのは、「番町皿屋敷」と「播州皿屋敷」です。「番町皿屋敷」は江戸時代、「播州皿屋敷」は室町時代を舞台にした物語で、「播州皿屋敷」を元にして「番町皿屋敷」が作られたともいわれています。
牡丹灯籠
牡丹灯籠は、幽霊との恋を題材にした物語です。
浪人の新三郎はお露という女性に恋をしますが、お露は新三郎に恋焦がれて亡くなってしまいます。ある日、「カランコロン」と下駄の音とともにお露が新三郎の家を訪ねてきて、新三郎はお露との再会を喜びました。しかし、新三郎の元で働く伴蔵はお露が幽霊であると気付きます。事実を知った新三郎は部屋中にお札を貼り、お露が訪ねて来られないようにしました。しかし、お露は伴蔵の妻に金銭を渡し、お札を剥がしてもらいます。そして、お露は新三郎の家に入ることができました。翌日、伴蔵が新三郎の家を訪ねると、そこには亡くなった新三郎の姿があったのです。
牡丹灯籠は、日本三大怪談のなかで唯一明治時代に作られた物語で、「剪灯新話」という小説集のなかの「牡丹灯記」が元になっています。
稲生物怪録
稲生物怪録は、稲生平太郎という16歳の少年が妖怪に脅かされながらも耐え切る物語です。稲生物怪録のなかでは、平太郎が肝試しに百物語を行う場面もあります。平太郎が実在していた人物であったり、物語のなかで多くの妖怪が出てきたりするのが稲生物怪録の特徴です。一つ目の妖怪や灰の妖怪など、さまざまな妖怪が現れます。江戸時代には、絵巻や絵本などで稲生物怪録が広まり、かわいい妖怪や迫力のある妖怪などが描かれていたようです。
本所七不思議
本所七不思議は、江戸時代の怪談のなかでも有名な都市伝説です。映画化されたり落語として伝えられたりしています。本所七不思議の物語の内容は、以下のとおりです。
置行堀
魚をたくさん釣った男が帰ろうとすると、堀のほうから「おいていけ」という声がして、驚いた男は魚を入れていた籠を持って急いで帰りました。帰ってから籠のなかを見てみると、魚が一匹残らず消えていたのです。
送り提灯
暗い夜の日、武士が一人で歩いていると提灯の灯りが見えたため、灯りを目当てに帰ろうとするものの、近づくと消え離れると灯ります。何度繰り返しても武士は灯りに追いつけませんでした。
送り拍子木
ある日、夜回りが拍子木を打ちながら歩いていると、後ろからも拍子木を打つ音が聞こえます。しかし、後ろを振り返っても誰の姿もありませんでした。
燈無蕎麦
本所の割下水の付近では、夜になると蕎麦屋の屋台が出ますが、1軒はいつも店先の灯りがついていません。通り掛かった人が灯りをつけましたが、すぐに消えてしまったため不気味に思い帰宅しました。その後、灯りをつけた人はしばらく災難に見舞われ続けたのです。
片葉の葦
お駒という美しい女性に恋心を抱いた留蔵は、思うようになびいてくれないお駒に苛立っていました。我慢できなくなった留蔵は、お駒の片手片足を切断して殺害し堀に投げます。その後、殺害現場の周辺には、片側しか葉をつけない葦が生えるようになりました。
足洗邸
ある日の夜、味野岌之助という旗本の屋敷で、家を揺らすような大きな音がしました。突然、血まみれの足が現れ「足を洗え」という声がします。味野が洗うと足は消えますが、洗わないと家が大きく揺れました。味野は同僚に相談し、お互いの屋敷を交換することに決めます。同僚が味野の屋敷に住んでからは、足が現れることはなくなりました。
狸囃子
毎晩、野原の近くから楽しそうなお囃子の音が聞こえてきます。しかし、お囃子の音を追ってもどこから音がしているのか分かりません。追い続けた者は、気付いたら見知らぬ場所に着いているのです。
落葉なき椎
新田藩松浦家の屋敷に立っている椎の大木は、なぜか1枚も葉を落とすことがありませんでした。そのため、周りの人は不気味に感じていました。
津軽の太鼓
津軽越中守の屋敷には火の見櫓がありました。通常、火災を知らせる際に鳴らすのは板木ですが、なぜか屋敷の見櫓には太鼓が置いてあったのです。火災が起きたときは太鼓が鳴らされましたが、なぜ太鼓があるのか知る人はいませんでした。
本所七不思議は、伝承によって物語の種類が異なるため、7つ以上のエピソードが存在します。
日本の怪談に登場する妖怪の特徴
日本の怪談に出てくる妖怪は、可愛らしい見た目が特徴です。江戸時代の絵巻や綿絵に可愛らしい妖怪の絵が描かれてから、親しみやすい存在として捉えられるようになりました。近代の日本でも、子どもが楽しめるような妖怪のアニメや漫画が存在します。そのため、妖怪は怖いものではなく「可愛らしいキャラクター」「娯楽の一部」になりつつあるのです。
日本の漫画の歴史については「日本漫画の歴史や特徴を外国人に解説!各ジャンルの人気作も紹介」で詳しく解説しています。ぜひ併せてご覧ください。
城跡にまつわる日本の怪談
日本の怪談には、城跡にまつわる物語もあります。「郡上八幡城」「北ノ庄城」「八王子城」で起きた話が有名です。
郡上八幡城
郡上八幡城では、人柱になった「およし」にまつわる怪談があります。
あるとき、城の修理で材木を台車で運んでいましたが、途中で動かなくなりました。複数人で押しても動かなかった台車が、「およし」という17歳の娘が手伝った途端に動き始めたのです。およしの存在を知った城主は、崩れない石垣を作るための人柱にしたいと思いおよしを捕まえます。そして、およしに白羽二重の装束を着せて、外から塞いで埋めました。その後、町では火災が頻繁に起こり、火事の前に白い服を着た女性の亡霊が現れるように。女性の亡霊が現れたのをきっかけに、およしの祟りだと騒がれ、現在も語り継がれています。
北ノ庄城
北ノ庄城では、首のない武士の亡霊が現れるという怪談があります。
1582年の本能寺の変で織田信長が討たれたあと、羽柴秀吉と柴田勝家が主導権を争いました。勝家は、1583年4月24日に起きた賤ケ岳の戦いで敗北し、北ノ庄城で自ら命を絶ちます。以来、4月24日の夜に首のない柴田の軍勢の亡霊が現れるようになり、見た者は1年以内に亡くなると語られました。
八王子城
八王子城でも、武士の戦いにまつわる物語があります。
1590年の6月23日に八王子城に豊臣方の大軍が攻めてきて、女性や子どもを含めた大勢が犠牲になりました。農民の多くが滝の周辺で自ら命を落とし、城は攻め落とされ、滝からは大量の赤い水が流れたといわれています。
まとめ
日本の怪談は、江戸時代に流行した「百物語」という怪談会をきっかけに広まりました。
「四谷怪談」「皿屋敷」「牡丹灯籠」を含む日本三大怪談や、稲生物怪録などが日本の代表的な怪談です。怪談のなかには、実在する人物や場所が登場する物語もあるため、日本の歴史や建物に興味のある外国人も楽しんで読めるでしょう。